水利組合との交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/02 23:55 UTC 版)
「丸山ダム (兵庫県)」の記事における「水利組合との交渉」の解説
上記のような背景もあって、水利組合との交渉は難航した。西宮市の資料では計画が正式にまとまる前の昭和39年ごろから関係水利組合との協議を開始したが、例えば宝塚市が昭和40年(1965年)10月27日に兵庫県に水利問題で陳情に行った際に「西宮から宝塚に話があってしかるべきなのに何の連絡もない、宝塚の水利組合に同意を求めるべきだ……」と県に指導を求めている。長い交渉の結果、農繁期・農閑期における下流への放水量を規定し、その放水量が正しく順守されていることを確認する施設を併設するという条件で下流の水利組合の同意を得た。最終の覚書が交わされたのは昭和48年(1973年)1月22日であった。
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