水中ドルフィンキック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 05:34 UTC 版)
1998年世界選手権までは、上記の五輪や日本選手権をはじめ、スタートから30m以上水中ドルフィンキックで進み、浮上した時点で2位以下を大きく引き離し、50mの途中計時では常に世界記録のラップを大幅に上回るタイムでターンするパターンを確立、好記録に結び付けた。なお、青山は1996年1月の関西選手権で50m自由形に出場、バタフライで泳いで優勝したこともある。 この水中ドルフィンキック(潜水泳法)は、青山が小学校4・5年の頃(1991-92年頃)、だれから教わることもなく、自分で始めたものである。青山が通常に水面で泳ぐよりも水面下をドルフィンキックで潜行した方が速く進めることに気付き、レースでも使うようになった。小学校5年のジュニアオリンピック夏季10歳以下50mバタフライで全国大会に初優勝した(この時の水中ドルフィンキックの距離は15m)。小学6年(1993年)では、50m、100mバタフライの学童新記録を出し、さらに、1994年のジュニアオリンピック春季大会では、小学生にして50mバタフライの短水路日本新記録を樹立する。 一方で、1995年の日本選手権初優勝の時(13歳)は148cm、1996年の五輪出場時(14歳)は152cm、1998年世界選手権の時(15歳)は158cmと、他の世界のトップスイマーに比べると10-20cmも小柄だったが、足首や肩のしなやかさ、柔らかさ、優れた心肺機能を生かした水中ドルフィンキックにより造波抵抗を受けることなく進め、むしろ小ささを武器に変えた。 イトマンSSの先輩である山本貴司は青山がイトマンSSに在籍中、青山の水中ドルフィンキックを参考にしたり研究したりしていた(『中日新聞』、『日本経済新聞』1996年4月7日付、また『毎日新聞』、『読売新聞』、『産経新聞』1997年9月17日付参照)。
※この「水中ドルフィンキック」の解説は、「青山綾里」の解説の一部です。
「水中ドルフィンキック」を含む「青山綾里」の記事については、「青山綾里」の概要を参照ください。
- 水中ドルフィンキックのページへのリンク