民心の一新-国民精神改革-
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:49 UTC 版)
「明六雑誌」の記事における「民心の一新-国民精神改革-」の解説
上記は制度改革について論じたものの例であるが、一方で国民の考え方、気風を変えるべきとの姿勢も顕著である。中村正直の「人民の性質を改造する説」(第30号)、西周の「国民気風論」(第32号)などにその特徴が濃厚である。たとえば後者を要約すると、日本人の気風には専制政治を甘んじて受ける「奴隷根情〔ママ〕」が見うけられ、幕末まで美点とされてきた「忠諒易直」(心根が真っ直ぐであること)は、鎖国を国是としない明治の世では「無気無力」の別名に過ぎないとまでいう。これは彼らが国民とは何かという問いをもって、西欧の書物を開く時、そこに頻出する“individual”あるいは“individuality”という語彙に触発されてのことである。現在でこそ、このことばには「個人」という訳語が定着しているが、当時は未だ定まった訳語はなかった。自由独立な権利の主体という概念がそれまでの日本には無かったためである。『明六雑誌』では「人々」・「個々人々」(以上西周)、「各個」・「人民各個」(以上西村茂樹)という訳語が当てられており、訳語に苦労したことがうかがえる。つまり彼らのいう日本人に見える「奴隷根情〔ママ〕」なるものは、“individual”(“individuality”)に照らされて浮かび上がった問題意識であった。こうした西欧を指標として日本との落差を計測する姿勢の背後には、一国の文明化・強国化の要件として国民一人 々 の知識獲得や文化程度の向上を求める単線的な発展史観があったのである。
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