民党による廃案運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/28 06:07 UTC 版)
予戒令は、施行および公布の年である1892年(明治25年)から、1914年(大正3年)に廃止される約22年間に渡って存続していたが、その期間において予戒令の廃案運動は複数回発生している。本項目では、民党による予戒令の廃案運動を採り上げる。自由党や立憲改進党などの衆議院の民党各派は予戒令の廃止を目指し、第4回、第8回、第10回、第12回および第13回帝国議会衆議院において、予戒令廃止の「建議」を5回提出し、いずれも民党各派多数の衆議院において可決されている。 衆議院で過去5回に予戒令廃止の建議が可決したにも関わらず、約22年間に渡って予戒令が存続した理由については「予戒令の廃止」にて後述し、ここでは、大日本帝国憲法における「建議」の性質について詳述する。 大日本帝国憲法第40条では、衆議院および貴族院の権能の1つに、法律または事件に関する議院の意見を政府に対して表明する手段として、「建議」を提出する権能を定めていた。しかしながら、政府に提出された「建議」は政府に対して何らかの措置を講じさせる法的拘束力が存在しなかったため、この建議は政府に対する議院の意見表明や問題追及としての手段以上の権能を有していなかった。つまり、衆議院で可決された決議が直接、予戒令を廃止する効力を持たなかったために、予戒令は1914年(大正3年)にこれを廃止する勅令が発せられるまで、その効力が存続していた。
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