民のかまど
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:58 UTC 版)
あはれとは なれも見るらん 我民と 思ふ心は 今もかはらず(大意:流刑者として連行される私のことを、「あはれ」(哀れ)と、あなた方も思うのだろう。だが、私もまた、あなた方を我が民として「あはれ」(尊い)と想う気持ちは、今も変わらないのだよ) —後醍醐天皇、『増鏡』「久米のさら山」 よそにのみ 思ひぞやりし 思ひきや 民のかまどを かくて見んとは(大意:都にいたころは想像するしかなかった、民のかまどの煙を、これほど身近に見ることができるなんて。私が尊敬する仁徳天皇が、感極まって歌を詠んだ時に見たのも、このような光景だったのだろうか。こうしてみると、配流というのも悪いことばかりではないのだな) —後醍醐天皇、『増鏡』「久米のさら山」 『増鏡』「久米のさら山」によれば、鎌倉幕府に捕まって隠岐国に流される途中、美作国(岡山県東北部)に差し掛かった元弘2年/元徳4年(1332年)3月17日に詠んだ歌2首。
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