毛越寺と観自在王院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 16:44 UTC 版)
久安6年(1150年)から久寿3年(1156年)にかけて、毛越寺に大規模な伽藍を建立した。金堂円隆寺と広大な浄土庭園を中心に伽藍が次々に建立されていった。また、基衡の妻は観自在王院を建立している毛越寺を建立するときの豪奢な贈物は都人の耳目を聳動させ、その様子は『吾妻鏡』で「霊場の荘厳はわが朝無双」と称された。 毛越寺本尊造立に絡んで、当時の奥州藤原氏の財力が窺い知れる次のような逸話が残されている。当時の毛越寺の本尊は、基衡の依頼により都の仏師雲慶により作られたが、その謝礼として百両もの金をはじめとした絹や奥州産の馬、蝦夷ヶ島(北海道)産のアザラシの毛皮など大量の品物を基衡は送った。ある時、別禄として生美絹(すずしのきぬ)を船三隻に積んで送ったところ、雲慶は大変喜び「練絹なら尚よかった」と冗談まじりに言ったところ、その話を聞いた基衡は大変後悔し、新たに練絹を船三隻に積んで送ったという。
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