母ディクタウェイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 04:59 UTC 版)
ディクタウェイの母系はロートシルト家が所有するモートリー牧場の代表する名牝系で、19世紀の活躍馬ジュスティシャ(Justicia)に遡ることができる。ジュスティシャは「2歳賞(Prix des Deux Ans、後のモルニ賞)」という大レースに勝ち、繁殖牝馬として数頭の重賞勝ち馬を産んだ。 ジュスティシャから数えて5代目にあたるニンフディクテ(Nymphe Dicte)は、父が日本に輸入されて大成功したダイオライトである。ニンフディクテはスピードのある競走馬で、グランクリテリウムやマルレ賞で2着になった。ニンフディクテが引退して繁殖牝馬になってすぐ、第二次世界大戦が始まり、フランスにはドイツ軍が進攻し、モートリー牧場の牝馬の多くがドイツ軍に接収されてドイツへ持ち去られてしまった。ニンフディクテもドイツに奪われ、ドイツで数頭の子を産んだ。戦後、これらの子とニンフディクテは無事にモートリー牧場に戻ってきたが、ドイツ時代の産駒の子孫から2歳チャンピオンのドラゴンブラン(Dragon Branc)やパリ大賞典に勝ったホワイトレーベル(White Label)が出た。 1952年生まれのディクタウェイ(Dictaway)は、1949年に亡くなった父の跡を継いだギー・ド・ロートシルト男爵による生産馬である。男爵は、代を重ねて長距離偏重になっていたモートリー牧場の繁殖牝馬にスピードを加えるため、一部をイギリスに送りこんでイギリスの種牡馬と交配させてた。ディクタウェイの母ニンフディクテもそのうちの1頭で、ニンフディクテにはイギリスのスプリンターであるハニーウェイ(Honeyway)が交配された。こうして誕生したのがディクタウェイである。 ハニーウェイはジュライカップやコークアンドオラリーステークスといった6ハロン(約1207メートル)の大レースに勝ったスプリンターで、ほかにもキングジョージステークスなど5ハロン(約1006メートル)の重賞も勝っている。短距離馬であったが、例外的に10ハロン(約2012メートル)のチャンピオンステークスにも勝った。 ディクタウェイは1955年に仏1000ギニーに優勝し、クラシックウィナーとなった。ディクタウェイは引退後、モートリー牧場で繁殖牝馬となり、ダイアトムを産んだ。
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