母シンギンググラス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 03:18 UTC 版)
「ネヴァーセイダイ」の記事における「母シンギンググラス」の解説
ボレアーレが1944年に産んだのがネヴァーセイダイの母シンギンググラス(Singing Grass)で、その父はアメリカの三冠馬ウォーアドミラルである。シンギンググラスは1944年のアメリカ生まれだが、1945年にヨーロッパでの世界大戦が終わったので、クラークはシンギンググラスをイギリスへ連れて行った。シンギンググラスはニューマーケットのジョセフ・ローソン調教師に預けられた。ローソン調教師は、前述の二冠牝馬ガラテアをはじめ、クラークの所有馬を引き受けており、シンギンググラス、そして後にネヴァーセイダイも預かって、ネヴァーセイダイで初のイギリスダービー制覇を遂げることになる。 シンギンググラスは7勝をあげ、中距離が得意な二流馬との評価を得た。シンギンググラスはそのままイギリスで繁殖牝馬になると、1950年にアイルランドの種牡馬ナスルーラを種付けされた。シンギンググラスが妊娠すると、クラークはシンギンググラスをアメリカへ連れ戻した。その結果、ネヴァーセイダイは1951年にアメリカで生まれたが、1歳になるとイギリスへ送り込まれてローソン調教師に預けられることになった。 たまたま、クラークがシンギンググラスをアメリカに戻したのと同じ1950年に、ハンコックはナスルーラを購入し、アメリカへ輸入して種牡馬とした。こうした事情で、ネヴァーセイダイはアメリカ生まれで、父のナスルーラもその時アメリカにいたが、ナスルーラにとってはイギリス時代の最後の世代の産駒、ということになる。のちにネヴァーセイダイが活躍すると、クラークはシンギンググラスにもう一度ナスルーラを種付けしたいと考えたが、どうしても種付権を入手することができなかったという。
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