母への贖罪と期待
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 15:00 UTC 版)
母親を悲しませたことは基次郎に堪え、母へのうしろめたさや様々な鬱屈した気持と、母に癒しを求める心情が、習作の「母親」や「瀬山の話」に発展していった。もし母がいなければ、自分はとうに餓死してしまっているか、情けない罪で牢屋に入っている人間なのだと基次郎は悟った。 私は病みかつ疲れてゐた。(中略)その次に私はふと母のことを思い出したのだ。私は正気で母を憶ひ出すのは苦しい堪らないことだつたのだ。しかも私はどういふ訳かその晩は、もし母が今、この姿の、この私を見つけたならば、息子の種々な悪業など忘れて、直ぐ孩児だつた時のやうに私を抱きとつてくれるとはつきり感じた。――そしてそんなことをしてくれる人は母が一人あるだけだと思つた。――私はその光景を心の中で浮べ、浮べてゐるうちに胸が迫つて来て、涙がどつとあふれて来た。 — 梶井基次郎「瀬山の話」 そして、こういった母親に対する贖罪の念や、救いを求める期待が『ある心の風景』の第2章の主題にもなり、性病にかかって腫れた患部を母に治してもらおうとする夢から生れた草稿「帰宅」の内容が第2章にほぼ生かされている。
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