死刑執行関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 23:04 UTC 版)
「レジサイド (チャールズ1世)」の記事における「死刑執行関係者」の解説
既出の者を除き、チャールズ1世の処刑にかかわった人物。 名前国王処刑時の役職王政復古時の生死第34条による除外備考出典アクステル ダニエル・アクステル近衛隊将校 生存 ○ 王殺しに加担した罪で、1660年10月にタイバーンで首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑に処された。 ハッカー フランシス・ハッカー近衛隊将校 生存 ○ チャールズ1世処刑時に処刑命令に署名した罪で、1660年10月にタイバーンで絞首刑に処された。 ヒューレット ウィリアム・ヒューレット近衛隊大佐 生存 ○ ダニエル・アクステルと同時に裁判にかけられ同様に王殺しの罪に問われたが、同時に処刑されることはなかった。 ハンクス ハーキュリーズ・ハンクス近衛隊将校 生存 チャールズ1世処刑の際に処刑人に執行を命令するのを拒否した(フランシス・ハッカーが代わりに命じた)。王政復古時の裁判ではダニエル・アクステルやハッカーに不利な証言を行い、自らは赦免されたが、1660年中に死去。 フェイヤー ロバート・フェイヤー近衛隊将校 生存 チャールズ1世処刑時に処刑人への処刑命令に署名することを拒否した。王政復古時に拘束されたが訴追されず、1662年に釈放された。1682年に死去。 ソムリンソン マシュー・ソムリンソン近衛隊将校 生存 判事の一人として指名されたが、審議には一度も参加しなかった。王政復興時にはチャールズ2世に礼儀をもって接したことや、ダニエル・アクステルやフランシス・ハッカーに不利な証言をしたことが認められて赦免された。1681年に死去。 不明 不明処刑人と助手 不明 ○ 免責・大赦法第34節の例外リストには、以上の49人の名のある人物に加えて、二人の未特定かつ名前不明の「2名の……フロックとバイザーで変装し、ホワイトホールの前に築かれた処刑台の上に上った者たち」が挙げられている。これはチャールズ1世の首を実際に落とした処刑人及びその助手のことである。その正体については後世に至るまで様々な説が提唱されており、例えば1866年にシドニー・リーが英国人名事典に寄稿したところでは、リチャード・ブランドン説がとられている。
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