歴史学上の評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:19 UTC 版)
しかしながら現代の歴史家や宗教史家は、こうした通説は宗教改革にまつわる「神話」であり、後世に作られた見方ではないかと指摘している。この指摘によれば、「宗教改革」という用語が使われるようになったのは17世紀以降のことである。この術語を用いたドイツの政治家ファイト・ルートヴィヒ・フォン・ゼッケンドルフ(ドイツ語版)(1626 - 1692)は、「ルターの教会批判」「ルターの宗教改革」などと表現し、あくまでもルター個人の行動の範囲に限定する用語として用いた。95ヶ条の論題によって始まったのは「ドイツの」宗教改革だとする文献もある。 この不確かな出来事の本当の意義は、16世紀もずっと後になって、「宗教改革」はこのように始まったのだという神話が創造されたという点にある。 — R.W.スクリブナー・C.スコット・ディクスン、『ドイツ宗教改革』p1「宗教改革神話」 ドイツ史研究家の松田智雄は、『世界の名著23 ルター』(中央公論社)のなかで、「どの面から言っても、これが世界史の新しい時期を開くような、はなばなしい開幕でなかったことだけは確かである」と評している。実際にはルター以外にも宗教改革家は大勢いて、ルターと同時代の人々は「改革」の総てをルターに帰すようには考えていなかった。改革は多元的に発生しており、多くの人物や都市が関わっていた。 教会史家のベルント・メラー(ドイツ語版)(1931 - )は、ルターを「偉大な賢人」「宗教改革の指導者」と描写する「よくある記述」は、完全に作り上げられたものであると批判した。この見解は多くの歴史家に支持されている。しかしながら「ルター生誕500周年」を迎えた1983年には、ルターを「歴史上の英雄の一人」「宗教改革を一人で成し遂げた人物」と扱う見方が依然として広汎に存在していることが実証されてしまった。
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