正攻法への変更
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:00 UTC 版)
第三軍は第一回総攻撃を歩兵の突撃による強襲法で行ったが、これは砲弾数不足で十分な支援砲撃ができない中で、大本営からの速やかなる早期攻略の要請に応えようとしたためであった。しかし要塞(望台)には歯が立たず兵力に大損害を被った。乃木は攻撃方法を再考し、正攻法へ切り替える考えを固めた。これは占領した盤龍山東西堡塁から要塞前面ぎりぎりまで塹壕を掘り進み進撃路を確保し、歩兵の進撃の際は十分に支援砲撃を行う方式であり、麾下の参謀に調査(地質や地形、敵情など)や作戦立案を指示した。8月30日、軍司令部に各師団の参謀長と工兵大隊長、攻城砲兵司令部の参謀などを招集し、正攻法への変更を図る会議を行った。しかし前線部隊の意見は砲弾不足などを理由に強襲法継続の主張が強かった。この会議は6時間に及んだが、最終的には乃木の決断で正攻法に変更する事になり、9月1日よりロシア軍に近接するための塹壕建設を開始した。 ロシア側も盤龍山堡塁を奪われたのは痛手だった。8月30日にロシア軍はコンドラチェンコ少将の独断により盤竜山を奪い返そうと攻撃を行ったが、日本軍の反撃を受け攻撃兵力の3割を失い失敗した。 9月15日、第三軍は対壕建設に目途が立ち、兵員・弾薬も補充できた。17日に各部隊に指示し、部分的攻撃を19日に開始するよう命令した。今回は第1師団、第9師団が攻撃を担当し、第11師団は前面の敵の牽制を担った。
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