正式開発の決定まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:48 UTC 版)
「エアバスA320」の記事における「正式開発の決定まで」の解説
エアバス参加国でもイギリスのブリティッシュ・エアウェイズや西ドイツのルフトハンザ航空はA320に消極的だった。ブリティッシュ・エアウェイズは保有機の入れ替えが急務となっており、これから開発するA320では間に合わないと判断してボーイング機を発注した。ルフトハンザは150席級ナローボディ機よりも、長距離路線向けワイドボディ機の開発を優先するよう求めた。一方で、エールフランスはA320計画を歓迎し、1981年6月のパリ航空ショーにおいてオプションを含め50機を発注すると発表した。フランス政府もA320の開発費の負担を約束した。 エールフランスが早々に発注を決め潜在需要も確実視されていたにもかかわらず、A320の正式開発が決定するまでここから3年を要した。苦しい財政状況にあった西ドイツ政府とイギリス政府が開発費負担に難色を示したためである。特にイギリスの状況は複雑であった。航空機エンジンメーカーのロールス・ロイス(以下 R-R)が参画しイギリス政府も出資していた英日共同開発エンジンの先行きが不透明となり、新しい開発計画に転換するための追加出資を求められていた。新たな計画は日本とイギリスを含む5か国の国際共同事業で、インターナショナル・エアロ・エンジンズ (IAE) 社を設立しV2500を開発するというものだった。V2500エンジンはA320の搭載エンジンとして有望視されており、エンジンを商業的に成功させるためにイギリス政府はA320へも出資を迫られた。 やむをえずエアバスは日本やカナダにも参加を呼びかけたが、日本は当時ボーイングとの共同開発構想があったため断り、カナダも採算が見合わないとしてギリギリのところで参加を見送った。このような状況下で、1984年の初めにフランスのミッテラン大統領、イギリスのサッチャー首相、西ドイツのコール首相が会談し、A320への直接・間接の金融支援を行うことが確認された。それを受けて同年2月に西ドイツ政府は必要経費の90パーセントに相当する15億マルク(約1352億円)の支出を決定した。イギリス政府も苦慮の末、エンジンと機体の双方への出資を決めた。ただしA320については4億3,700万ポンドの当初要求に対して2億5,000万ポンド(約875億円)の出資とし、不足分はBAe社が自己調達することとなった。 ようやく資金の目処がついたことで1984年3月2日、エアバスはA320の正式開発・製造を決定した。この時点までに、エールフランスに加えてエールアンテール、ブリティッシュ・カレドニアン航空、アドリア航空、キプロス航空の5社からオプション含めて96機の受注を獲得していた。
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