欠場~社長辞任~復帰~退団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:43 UTC 版)
「藤波辰爾」の記事における「欠場~社長辞任~復帰~退団」の解説
2003年から社長業の多忙と胆石の治療で長期欠場に入り、近い将来の引退を宣言をする。しかし胆石は手術で完治し、結局2004年に社長を辞任、副会長に就任し、2005年3月26日には2年3か月ぶりに復帰し、引退カウントダウンを撤回し、現役にこだわるようになる。 同5月のドーム大会でジャンボ鶴田の付き人を務めたことのあるNOAHの三沢光晴とタッグを組み、「楽しかった。次は三沢選手と戦いたい」と話した。また、同年のG1 CLIMAXにも久々に出場した。川田利明との初対決が実現する(敗れる)。試合後に川田から握手をし、川田は「試合後の握手は嫌いだが、レスラーになったきっかけの一人であるから」とコメントを残す。 2006年6月30日付けで新日本プロレスを退団。その際に社員に挨拶に回ったが、ことごとく無視された、とインタビューで当時の様子を語った。
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