橋本久太郎とは? わかりやすく解説

橋本久太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 13:45 UTC 版)

橋本久太郎

橋本 久太郎(はしもと ひさたろう、安政2年1月16日[1][2]1855年3月4日) - 大正15年(1926年11月23日[2][3][注 1])は、日本の衆議院議員立憲改進党進歩党憲政党憲政本党立憲政友会[4])。

経歴

阿波国板野郡川内村(現在の徳島県徳島市)出身。徳島藩校(長久館)と阿部明誠塾で漢学を学んだ後、明治7年(1874年)に東京に出て、共慣義塾と慶應義塾で洋学を学んだ[5]。明治13年(1880年)に卒業して故郷に帰り、翌年、県会議員に選出された。県会議員在任中に町村連合会議員、教育会評議員、衛生会評議員などを歴任した[4]

明治23年1890年)の第1回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。以後10回連続当選を果たし、23年にわたって在職した。大正元年(1912年)に東京市麹町区長に任命され、大正10年(1921年)まで務めた[1]

区長在職中に帝国水難救済会名誉会員、日本赤十字社特別委員に選出された[1]

脚注

注釈

  1. ^ 『阿波人物鑑』469頁では1月23日。

出典

  1. ^ a b c 『阿波人物鑑』p.469
  2. ^ a b 『徳島県歴史人物鑑』238頁。
  3. ^ 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』501頁。
  4. ^ a b 『衆議院議員列伝』p.67
  5. ^ 『慶應義塾出身名流列伝』p.111

参考文献

  • 『徳島県歴史人物鑑』徳島新聞社、1994年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『御大典記念 阿波人物鑑』徳島日日新報社、1928年。 
  • 三田商業研究会『慶応義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年。 
  • 山崎謙『衆議院議員列伝』衆議院議員列伝発行所、1901年。 

橋本久太郎(はしもと きゅうたろう)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 23:05 UTC 版)

新戦艦高千穂」の記事における「橋本久太郎(はしもと きゅうたろう)」の解説

高千穂」に乗り込んでいる二等兵曹あだ名は「久太」で、劇中ではもっぱらその名で呼ばれている。勝山家の執事息子であり、主人である勝山少将あこがれて海軍に入隊した。明智船長同様のお調子者で、顔を合わせてからはしばしば口げんか続けている。また、勝山家の屋敷がある目白○○町では、相撲で彼に勝てるものはいないという。

※この「橋本久太郎(はしもと きゅうたろう)」の解説は、「新戦艦高千穂」の解説の一部です。
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