横倉 寛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/05/29 17:40 UTC 版)
横倉 寛 | |
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年
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基本情報 | |
出生名 | 横倉寛 |
別名 | ジェームス=山 |
学歴 | 神戸市立神戸西高等学校卒業 |
出身地 | ![]() 兵庫県神戸市長田区二葉町 |
ジャンル | ロック ポップス |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル ギター |
活動期間 | 1989年 - |
レーベル | 阿部音楽工業 (1990年 - 1991年) abex trax (2004年) YAKKO! JAPAN (2005年- 現在) |
事務所 | 奴 |
共同作業者 | 上坪 正樹 迫田 順一 |
影響 | ローリングストーンズ クイーン 佐野元春など |
公式サイト | http://www.jun1-sakoda.com |
横倉 寛(よこくら ひろし、1973年 - )は、兵庫県神戸市長田区出身のミュージシャン、ギタリスト。元・旭堂P-MENのギタリスト。一般的には芸名のジェームス=山(じぇーむす=やま)で知られている。血液型は不明。
目次 |
概要
1989年、高校で同級生だった上坪正樹(旭堂P-MENでは中村一三名義)と迫田順一]](旭堂P-MENでは小南陵名義)が結成したバンド「旭堂P-MEN」に遅れて加入するが、翌1990年に脱退。しばらく音楽活動から遠ざかる。しかし、2003年に上坪正樹のプロデュースで、アルバム「RED HOT CHILI DOG」を発表。ソロで突然の再デビューを飾る。これを機に自身のレーベルである「YAKKO! JAPAN」を創立。2005年にはソロ2作目となるアルバム「YOKOKULIZE(ヨコクライズ)」を発表した。代表曲は「THANK YOU バキューム」等。
エピソード
- 自身のレーベル「YAKKO! JAPAN」の名称は、実父が営んでいた一品料理店の屋号「奴(やっこ)」に由来する。
- 高校時代は野球部に所属していたが補欠だった。当時の野球部監督であった小南扇四郎に、顔面をスパイクで蹴られたことがきっかけで退部した[1]。
- ボナンザの用具を愛用していた。[要出典]
- アルバム「RED HOT CHILI DOG」で、約12年ぶりに上坪正樹と共演したことによって、ファンからは「旭堂P-MEN再加入への布石か」と話題になった。しかし、2011年5月現在では、そのようなアナウンスは公式にはされていない。
ディスコグラフィー
アルバム
- RED HOT CHILI DOG(2003年)
- YOKOKULIZE(2005年1月29日)
- 「旭堂P-MEN」名義
- 神姫バスに感謝! (1989年)
- 阿部(ATTORI) (1990年)
- Tonga-Rich (1990年)
脚注
- ^ 奈良県立斑鳩高等学校との練習試合の帰る途中、バスの中の出来事であった
関連項目
外部リンク
- JAMES=YAMA OFFICIAL WEB SITE(ジェームス=山 公式サイト)
- abex trax YAKKO! JAPAN(YAKKO! JAPAN公式サイト)
「横倉 寛」の例文・使い方・用例・文例
- 君は最近寛大なんだね
- 彼女はいつも人に対して寛容な態度で接している
- 寛大過ぎる
- 敵に対して寛大な処置をとる
- 彼女を許すとはあなたはずいぶん寛大でしたね
- 寛大な裁判官
- 彼は反対者に寛大な態度をとる
- 彼は他人に対して非常に寛大だ
- その寛大な申し出を軽々しくは断われないことはわかっていた
- そんな大きな寄付をするとはあなたは寛大ですね
- 他人にはもう少し寛容であるべきです
- もっと他人の欠点に寛大になるべきです
- 皆様の寛大な行為に感謝いたします。
- 公共部門を寛大な政府補助金で援助する
- その国では文化的な不寛容さに対していらだつことがあるかもしれない。
- 彼は、そのようないじめっこを含めた全員に寛容な態度を保ち続けている。
- 王たるものに必要とされるのは寛大さに他ならない。
- 私は人事評価を行う際、寛大化傾向にならないよう心がけています。
- 私は彼女にもっと寛大になるように教えた。
- あなたはそれに対して寛容に対応してくれました。
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