権十郎時代
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「河原崎権十郎 (3代目)」の記事における「権十郎時代」の解説
昭和31年(1956年)3月に歌舞伎座で行われた團菊祭の『身替座禅』の太郎冠者、『毛抜』の民部で三代目河原崎権十郎を襲名。東横ホールでは主役、歌舞伎座などでは脇役といった経験が権十郎の芸域を幅広いものにしていった。 昭和46年(1971年)6月、国立劇場の『梅雨小袖昔八丈』(髪結新三)の長兵衛で初の老役。これ以降世話物や時代物の老役を数多く手掛けることになる。代表的な当たり役は『青砥稿花紅彩画』(白浪五人男)浜松屋幸兵衛、『助六』の通人里暁、『近江源氏先陣館・盛綱陣屋』の時政など。また『助六』の通人里暁にその時代の流行やくすぐりを即興で取り入れ、客席を大いに沸かせる役どころに仕立て上げたのもこの権十郎だった。 平成10年(1998年)2月18日、急性心不全により80歳で死去。前年の11月、歌舞伎座の『芝浜革財布』で家主長兵衛を演じたのが最後の舞台だった。
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