権利の根拠と限界
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/11 00:26 UTC 版)
『自由論』によれば愚行権は次の論拠において正当化される。 個人の幸福への関心を最大に持つのは本人である。 社会が彼に示す関心は微々たるものである、 彼の愚行についての彼の判断と目的への外部からの介入は、一般的推定を根拠とするだろうが、誤る可能性が高い よって彼自身のみ関わる事柄こそが、個性の本来の活動領域であって、この領域では他人の注意や警告を無視して犯すおそれのある誤りより、他人が彼にとっての幸福と見なすものを強要することを許す実害のほうが大きい。 一方でこの自由の主体たる人物は諸々の能力の成熟している成人であるべきであり、また社会的統制の実行を明確に回避しているわけではないこと、愚行の結果として受ける批判や軽蔑、拒否などは当人が引き受けなければならないことを主張する。ミルの『自由論』は自立と自律に対して倫理的にかなり厳しい主張をしており、結果主義や自己責任論を包含している。ミルの主張によれば、愚行を倫理的に非難することと法的に刑罰の対象とすることは別のことであり、刑罰は最低線の倫理からもたらされるとする。
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