構成的な明暗法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 08:52 UTC 版)
装飾写本は(その結果は必ずしも一般の目に触れたわけではないが)野心的な照明効果の実験を試みていた。 スウェーデンの聖ビルギッタのキリスト降誕の幻視が、北ヨーロッパにおける構成的な明暗法の開発に大きな刺激を与えた。聖ビルギッタは幼子イエスが光を放っていたと語ったのである。そのことから、『キリスト降誕』図を描く時にそれ以外の光を否定するようになり、バロック期を通してごく普通に明暗法を使うようになった。フーゴー・ファン・デル・グースとその弟子たちは蝋燭の光1本、あるいは幼子イエスの放つ光だけ光源を持たない絵を数多く描いた。その絵は他のバロック絵画より静寂さと落ち着きを有していた。 16世紀のマニエリスム絵画とバロック絵画では、強烈な明暗が人気になった。神の光はティントレットやパオロ・ヴェロネーゼ、それに二人の多くの弟子たちの作品を(隅々までとは言わないが)照らし続けた。暗い物体が、単一でしばしば目に見えない光源から放たれる一条の光によって劇的に照らされるという、この構成的な明暗法を発展させたのが、ウーゴ・ダ・カルピであり、ジョヴァンニ・バリオーネであり、カラヴァッジオであった。とくにカラヴァッジオは、劇的な明暗法が支配的な技法となるテネブリズムの発達に重大な貢献をした。
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