構想と準備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 03:45 UTC 版)
1938年(昭和13年)8月に疋田出張所、9月に沓掛見張所を設置し、直轄工事で深坂トンネルの工事に取り掛かることになった。直轄部隊は前任地の生保内線や大糸線などの工事現場から転任してきた。坑口付近に出張所や工場、人夫の小屋、職員官舎、倉庫などを設置し、疋田口は疋田駅から約2キロメートルの引き込み線を敷設して貨車で材料を取り込み、沓掛口は疋田駅からトラックで材料を運搬した。作業員は、疋田口で1日650人、沓掛口で460人、延べ作業員数は両口合計88万人を予定した。 新線は当初から電気運転をする構想とし、単線直流電化断面(1号型)で掘削することになった。沓掛側から5.5パーミルで上るが23メートル入ったところからは出口まで5,147メートルの9パーミルの下り勾配となる線形で実質下り片勾配である。しかし当時の国家的要請により40か月で工事することが求められており、上り勾配となる疋田側からだけでなく、下り勾配となる沓掛側からも掘削する必要があった。断層地帯を下り勾配で掘削しなければならないという難題に対し、沓掛側では水抜坑を設けて先進導坑とすることになった。下りで掘削する沓掛口は1,570メートル、上りで掘削する疋田口は3,600メートルを担当する計画とされた。 地質は花崗岩であり、琵琶湖北部の断層地帯にあるため数か所で断層を横断することになる。疋田口から約2キロメートルの地点で交わる断層がもっとも大きいと想定された。
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