構内列車脱線事故(1918年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 14:05 UTC 版)
「熊ノ平駅」の記事における「構内列車脱線事故(1918年)」の解説
1918年(大正7年)3月7日、横川から軽井沢方向に登っていた貨第191列車(10000形電気機関車2両+貨車10両+有蓋緩急車1両)の本務機関士が、第20号トンネル通過中に異臭・異音を感じ緊急停車した。故障は軽微であったことから運行継続を決断し、再発車しようとしたが起動せず、碓氷峠の急勾配を退行し始めた。機関士は制動を試みたが発電ブレーキが故障して効かず、10箇所のトンネルを通過暴走して熊ノ平駅の引込線に突っ込み、第10号トンネル終点側出口壁に衝突した。列車は転覆して大破、これにより歯車緩急車の運転助士、前部車掌の乗務員2名、熊ノ平駅転轍手1名の計3名が即死、本務機機関士1名が重傷後死亡で計4名が犠牲となり、その他4名が負傷した。 列車の牽引機であった10000形電気機関車はドイツから輸入した日本国内における黎明期の電気機関車であり、当時から故障が頻発していた中での惨事だった。 詳細は「信越本線熊ノ平駅列車脱線事故」を参照
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