楽譜印刷の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:01 UTC 版)
楽譜印刷の登場以前は主に筆写によって楽譜が製作されていた。楽譜印刷の最初の試みは15世紀後半に見られ、1473年にドイツ南部のエーリンゲンで印刷されたジャン・ジェルソンの《マニフィカト集(ドイツ語: Collectorium super Magnificat)》とされている。この楽譜では5つの音符と歌詞が鋳造音符活字によって印刷され、譜線は手書きで書かれていた。また、同年に印刷された《ミサ聖歌集(ドイツ語: Graduale)》では、別々の板を用いることによる重ね刷りで譜線と音符を印刷しており、その後この2度刷り方式は一般的となった。この頃は木版印刷が楽譜印刷の主流であった。 1450年頃に発明されたといわれるヨハネス・グーテンベルクの活版印刷を楽譜印刷に用いるには、譜線と音符のありとあらゆる組み合わせを用意する必要があり、技術的にも経済的にも負担が大きかった。本格的な活版印刷による楽譜出版を始めたのはオッタヴィアーノ・ペトルッチ(英語版)で、1501年に刊行した《詞華集オデカトン(英語版)》がその最初の曲集である。ペトルッチの印刷工場は移動植字法を使用しており、異なる3つの型を用いて、最初に譜線、その上に音符、最後にタイトルや諸々のテキストを印刷するという方式を採った。この方式は譜表と音符の間にずれを生じやすいという欠点があったが、新たなページを作るのに同じ活字を再利用することが可能だった。ペトルッチが開発した多重刷りの活版印刷は、活版楽譜印刷の原理的な問題点を解決するもので、楽譜印刷の可能性を大きく飛躍させた。このような功績から、ペトルッチは「楽譜印刷のグーテンベルク」と言われている。ただ、ペトルッチの多重刷り方式は非常に高度な技術を要し、多大な時間と労力がかかるものであったから、楽譜も高価なものとなった。
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