楽譜発見の経緯
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「管弦楽組曲第1番 (ドビュッシー)」の記事における「楽譜発見の経緯」の解説
この曲の存在自体は、ドビュッシーの発言や手紙により以前から知られていたが、楽譜は所在不明のままだった。 1977年にフランソワ・ルシュール (François Lesure) が出版したドビュッシーの全作品目録の中に、自筆譜の所在に関する記載があったことから楽譜が現存していることが音楽学者に知られるようになった。その中には、1958年にニューヨークで、ピアノ連弾版とオーケストラ版の2種類の自筆譜が売却されたこと、自筆譜の以前の所有者がアンリ・ルロル(英語版) (Henry Lerolle、1890年代にドビュッシーの親友だった画家、ショーソンの義兄) の家族だったことが書かれていた。しかし、自筆譜の行方はその後長いこと不明なままだった。 自筆譜の所在がわかったのは2006年のことで、音楽学者のジャン=クリストフ・ブランジェがニューヨークのモルガン・ライブラリーの電子版目録を調べていて、Première Suite d'Orchestreと題された自筆譜が含まれていることに気づいたのが発端である。最初、ブランジェは何かの間違いだろうと思っていたが、ドゥニ・エルラン (Denis Herlin、デュラン-サラベール-エシク社刊ドビュッシー全集の主席編集者) に確かめたところ、調査の結果、本物であることがわかった。 同時に、1996年にロバート・リーマン (Robert O.Lehman) が自筆譜を購入し (ピアノ連弾版、オーケストラ版共に)、保存のためにモルガン・ライブラリーに収めたのだが、その後、特に注目されることもなく、そのままライブラリーの中で眠っていたこともわかった。 発見された楽譜には2つの版が含まれていた。1つはドビュッシー自身の編曲によるピアノ連弾用、もう1つは管弦楽バージョンである。ただし、オーケストラ版には第3曲が含まれておらず、紛失したものと見られる。
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