楽譜発見の経緯とは? わかりやすく解説

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楽譜発見の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 16:46 UTC 版)

管弦楽組曲第1番 (ドビュッシー)」の記事における「楽譜発見の経緯」の解説

この曲の存在自体は、ドビュッシー発言手紙により以前から知られていたが、楽譜所在不明のままだった。 1977年にフランソワ・ルシュール (François Lesure) が出版したドビュッシー全作品目録中に自筆譜所在に関する記載があったことから楽譜現存していることが音楽学者知られるようになった。その中には1958年ニューヨークでピアノ連弾版オーケストラ版2種類自筆譜売却されたこと、自筆譜以前の所有者がアンリ・ルロル(英語版) (Henry Lerolle、1890年代ドビュッシー親友だった画家ショーソン義兄) の家族だったことが書かれていた。しかし、自筆譜の行方その後長いこと不明なままだった。 自筆譜所在わかったのは2006年のことで、音楽学者ジャン=クリストフ・ブランジェがニューヨークモルガン・ライブラリー電子版目録調べていて、Première Suite d'Orchestreと題され自筆譜含まれていることに気づいたのが発端である。最初ブランジェは何かの間違いだろうと思っていたが、ドゥニ・エルラン (Denis Herlin、デュラン-サラベール-エシク社刊ドビュッシー全集主席編集者) に確かめたところ、調査結果本物であることがわかった同時に1996年にロバート・リーマン (Robert O.Lehman) が自筆譜購入し (ピアノ連弾版オーケストラ版共に)、保存のためにモルガン・ライブラリー収めたのだが、その後、特に注目されるともなくそのままライブラリーの中で眠っていたこともわかった発見され楽譜には2つの版が含まれていた。1つドビュッシー自身編曲によるピアノ連弾用、もう1つ管弦楽バージョンである。ただし、オーケストラ版には第3曲が含まれておらず、紛失したものと見られる

※この「楽譜発見の経緯」の解説は、「管弦楽組曲第1番 (ドビュッシー)」の解説の一部です。
「楽譜発見の経緯」を含む「管弦楽組曲第1番 (ドビュッシー)」の記事については、「管弦楽組曲第1番 (ドビュッシー)」の概要を参照ください。

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