楽曲作成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 10:06 UTC 版)
1943年の軍人援護強化運動に協力して、詩歌、俳句、短歌の三部会で作品を募集し、6月に作品を軍事保護院に献納、続いて7月に日本音楽文化協会などとともに作曲公募のための詩歌として大木惇夫の「大アジヤ獅子吼の歌」を選定、園部為之の曲が当選して9月に発表された。 同じ7-9月にも日本音楽文化協会と愛国歌曲の創作、献納を行う。これらの曲は各地で発表演奏会も行われて国民運動となった。 また大政翼賛会募集の「勤労報国隊の歌」(1943年11月発表)、日本文学報国会と日本音楽文化協会共同企画による「少国民決意の歌」(1944年3月発表)「皇国漁民の歌」「大漁ござる音頭」(1944年9月募集)、日本文学報国会主催で農商省などが後援の「日本農村の歌」(1944年11月発表)などで、日本音楽文化協会との連携による楽曲作成が行われ、1944年3月の日本音楽文化協会による決戦楽曲の募集では審査会に参加した。 1944年の軍人援護強化運動では、日本文学報国会の作詞の委嘱で西條八十「起て一億」、三好達治「決戦の秋は来れり」が、日本音楽文化協会により曲が付けられ、発表演奏会やラジオ放送その他のイベントで演奏された。44年9月からの情報局制定歌曲ではサイパン玉砕をテーマに作詞を委嘱され、佐藤春夫「一億総進撃の歌」、尾崎士郎「復仇賦」に、日本音楽文化協会公募の曲が付けられて発表された。
※この「楽曲作成」の解説は、「日本文学報国会」の解説の一部です。
「楽曲作成」を含む「日本文学報国会」の記事については、「日本文学報国会」の概要を参照ください。
- 楽曲作成のページへのリンク