植民都市アクイレイアの建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 05:47 UTC 版)
「アクイレイア」の記事における「植民都市アクイレイアの建設」の解説
紀元前181年、アドリア海のほとりに古代ローマの植民都市アクイレイアが建設された。都市の名は、土地の言葉 Akylis から来ている。アクイレイアは、当時のローマ共和国の東北辺境を防衛する要塞であり、イリュリア戦争にはローマの盟友であったウェネティ人を守り、カルニ人やイストリア人などの好戦的な民族の侵入を防ぐ関門としての機能を果たした。実際、アクイレイアは紀元前183年にガリア人たちが定住した場所からさほど離れていない場所に建設されている。 アクイレイアの植民都市に当初移駐してきた3000人の兵士は、おもにサムニウムの出身であった。彼らとその家族が住民の大半であり、残りは土地のウェネティ人であった。おそらく紀元前173年には ボノニア(ボローニャ)につながる道路が開かれた。紀元前169年にはアクイレイアの駐屯軍を強化するために、1500人以上のラテン人入植者がその家族と共に定住した。 紀元前148年には北イタリアを横断するポストゥミア街道が建設され、ゲヌア(ジェノヴァ)やクレモナ、アルティヌム(現クアルト・ダルティーノの一部)などの都市と結ばれた。紀元前132年、アドリア海沿いにリミニとアルティヌムを結ぶポッピリア街道 (Via Popilia) が建設されると、アクイレイアの交易活動はさらに活発化した。 軍事的に重要な拠点であったアクイレイアは、同時に交易上の重要な拠点ともなった。アクイレイアではウェネティ人の交易商人によって、バルト海の琥珀の取引も行われている(琥珀街道参照)。また、農業・ブドウ栽培の中心地でもあり、また多くの煉瓦工場も建てられるようになった。
※この「植民都市アクイレイアの建設」の解説は、「アクイレイア」の解説の一部です。
「植民都市アクイレイアの建設」を含む「アクイレイア」の記事については、「アクイレイア」の概要を参照ください。
- 植民都市アクイレイアの建設のページへのリンク