ポストゥミア街道とは? わかりやすく解説

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ポストゥミア街道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/25 17:12 UTC 版)

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ポストゥミア街道( 灰色)
ヴェローナのガーヴィ門付近で復元されたポストゥミア街道の一部

ポストゥミア街道ラテン語: Via Postumia)は、北イタリアに建設されたローマ街道。現在のジェノヴァからイタリア北部を横断し、アドリア海北岸の中心都市であったアクイレイアに至る。

地理・歴史

紀元前148年執政官 スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス・マグヌス が建設した。

ジェノヴァの海岸を起点とし、山越えしてDertona(現在のトルトーナ)、Placentia(現在のピアチェンツァ。ここでアエミリア街道と接続)、クレモナのすぐ近くでポー川を渡る。クレモナを過ぎると街道はBedriacum(現在のカルヴァトーネ)まで東に向かい、そこで分岐し、1つはヴェローナに向かい、もう1つはMantua(現在のマントヴァ)、Gemona(現在のジェモーナ・デル・フリウーリ)、アクイレイアを結んでいる。リグーリアの軍事占領においてはこの街道が重要な役割を果たし、この街道沿いに重要な町がいくつか生まれることになった。クレモナは街道のちょうど中間点にあり、西と東の道のりがほぼ同じである。

Via Julia Augusta はアウグストゥスが紀元前13年から建設を開始したローマ街道で、Via Aemilia Scauri とポストゥミア街道を繋ぐ街道である。Placentia(ピアチェンツァ)を起点として、ラ・チュルビの凱旋門まで続いていた。後にArelates(現在のアルル)まで延長され、ドミティア街道に合流するようになった。途中、Dertona(トルトーナ)、Vada Sabatia(ヴァード・リーグレ)、Albingaunum(アルベンガ)、Album Intimilium(ヴェンティミーリア)を通っている。

古代のガーヴィ門にはポストゥミア街道から分岐したヴェローナへの道の遺跡がある。

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