ポストゥムス
ポストゥムス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 02:50 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ポストゥムス(Postumus)は、ラテン語の添え名(コグノーメン)。「父の死後に生まれた息子」を意味する。
人物
- ポストゥムス・コミニウス・アウルンクス - 紀元前501年と紀元前493年の共和政ローマの執政官
- ポストゥムス・アエブティウス・ヘルウァ・コルニケン - 紀元前442年の共和政ローマの執政官
- アグリッパ・ポストゥムス - マルクス・ウィプサニウス・アグリッパの息子、アウグストゥスの養子。紀元前12年 - 紀元14年
- マルクス・カッシアニウス・ラティニウス・ポストゥムス - 3世紀のローマ帝国の軍人。後にガリア帝国の初代皇帝。
- ラディスラウス・ポストゥムス - 15世紀のオーストリア公、ハンガリー王、ボヘミア王。
![]() |
このページは人名(人物)の曖昧さ回避のためのページです。同名の人物に関する複数の記事の水先案内のために、同じ人名を持つ人物を一覧にしてあります。お探しの人物の記事を選んでください。このページへリンクしているページを見つけたら、リンクを適切な項目に張り替えてください。 |
ポストゥムス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 03:32 UTC 版)
「この私、クラウディウス」の記事における「ポストゥムス」の解説
アグリッパとユリアの息子でアウグストゥスの孫。クラウディウスにとってのよき兄貴分。腕力が強く少々粗暴な面もあるが開放的な性格で、クラウディウスに対しては幼少の頃からいつも守ってやるなど面倒を見ていた。クラウディウスの才能をゲルマニクス同様高く評価しており、クラウディウスにとっても最も親しい友人であった。クラウディウスの姉リウィッラに思いを寄せていたが、ティベリウスの競争者となった時そのことを利用され追放された。その後ゲルマニクスとクラウディウスの尽力でアウグストゥスの誤解を解き、和解。改めてアウグストゥスの後継者として遺言状に記された。しかしその直後アウグストゥスは暗殺され、ポストゥムスに入れ替わっていたクレメンスは処刑された。ポストゥムスはしばらく潜伏したのち父アグリッパを尊敬する水兵達を味方につけローマに入るが、クリスプスの罠にかかり逮捕、偽ポストゥムスとして処刑された。
※この「ポストゥムス」の解説は、「この私、クラウディウス」の解説の一部です。
「ポストゥムス」を含む「この私、クラウディウス」の記事については、「この私、クラウディウス」の概要を参照ください。
- ポストゥムスのページへのリンク