森川栄次郎とは? わかりやすく解説

森川栄次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 15:22 UTC 版)

金屋石」の記事における「森川栄次郎」の解説

天保10年1839年) - 明治36年1903年4月5日65歳で没)石森庄兵衛門弟。森川栄次郎(もりかわえいじろう)は明治時代砺波地方代表する石工であり、生涯の間に千体の石仏刻んだとされる。主に金屋石使って仏像彫った栄次郎は天保10年1839年)に木村(今の砺波市安川谷内家に生まれ幼少期金屋村(今の砺波市庄川町金屋)の石工森川栄次郎に弟子入りし石工としての腕をかわれて森川家養子となり、のちに二代目栄次郎を襲名した。その仕事ぶり実直謹言無駄なことは何一つしゃべらずひたすら彫ることに没頭したといわれている。特に観音像を得意とした。千体の石仏彫ったとされる栄次郎であるが、石仏に銘の入ったものはあまり多くない。 <森川栄次郎の銘の入った石仏1884年明治17年46歳 十一面観音砺波市庄川町金屋西野砺波市ふるさと文化財 1885年明治18年47歳 十一面観音砺波市秋元 観音堂砺波市ふるさと文化財 不動明王砺波市太田 萬福寺1889年明治22年51不動明王砺波市東別所砺波市ふるさと文化財 1890年明治23年52歳 十一面観音砺波市石丸1894年明治27年56歳 不動明王砺波市井栗谷砺波市ふるさと文化財 1895年明治28年57歳 不動明王南砺市(旧井波町東城寺八幡社1896年明治29年58不動明王南砺市(旧井波町)沖神明社1898年明治31年60歳 十一面観音南砺市(旧井波町今里1899年明治32年61歳 不動明王砺波市庄川町金屋 瓜裂清水合計10体に銘が彫られてあり、すべて1m以上の大きな作品である。とくに井栗谷不動明王は高さが240cmにも達する。

※この「森川栄次郎」の解説は、「金屋石」の解説の一部です。
「森川栄次郎」を含む「金屋石」の記事については、「金屋石」の概要を参照ください。

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