森川栄次郎
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天保10年(1839年) - 明治36年(1903年)4月5日(65歳で没)石森庄兵衛の門弟。森川栄次郎(もりかわえいじろう)は明治時代の砺波地方を代表する石工であり、生涯の間に千体の石仏を刻んだとされる。主に金屋石を使って仏像を彫った。栄次郎は天保10年(1839年)に茶木村(今の砺波市安川)谷内家に生まれ、幼少期は金屋村(今の砺波市庄川町金屋)の石工森川栄次郎に弟子入りし、石工としての腕をかわれて森川家の養子となり、のちに二代目栄次郎を襲名した。その仕事ぶりは実直謹言、無駄なことは何一つしゃべらず、ひたすら彫ることに没頭したといわれている。特に観音像を得意とした。千体の石仏を彫ったとされる栄次郎であるが、石仏に銘の入ったものはあまり多くない。 <森川栄次郎の銘の入った石仏> 1884年(明治17年) 46歳 十一面観音(砺波市庄川町金屋西野)砺波市ふるさと文化財 1885年(明治18年) 47歳 十一面観音(砺波市秋元 観音堂)砺波市ふるさと文化財 不動明王(砺波市太田 萬福寺) 1889年(明治22年) 51歳 不動明王(砺波市東別所)砺波市ふるさと文化財 1890年(明治23年) 52歳 十一面観音(砺波市石丸) 1894年(明治27年) 56歳 不動明王(砺波市井栗谷)砺波市ふるさと文化財 1895年(明治28年) 57歳 不動明王(南砺市(旧井波町)東城寺八幡社) 1896年(明治29年) 58歳 不動明王(南砺市(旧井波町)沖神明社) 1898年(明治31年) 60歳 十一面観音(南砺市(旧井波町)今里) 1899年(明治32年) 61歳 不動明王(砺波市庄川町金屋 瓜裂清水) 合計10体に銘が彫られてあり、すべて1m以上の大きな作品である。とくに井栗谷の不動明王は高さが240cmにも達する。
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