北条貞国
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北条 貞国(ほうじょう さだくに)は、鎌倉時代末期の北条氏の一門。桜田 貞国(さくらだ さだくに)とも呼ばれる。
注釈
出典
- ^ a b 『近江国番場宿蓮華寺過去帳』(『群書類従』に所収)に記載の没年齢(享年数え年47)より逆算。
- ^ a b 『近江国番場宿蓮華寺過去帳』に見られる自害者のリストの中に、「櫻田治部大輔入道浄心 四十七歳」との記載がある。
- ^ a b 『太平記』巻第10「高時幷一門以下於東勝寺自害事」に見られる自害者の中に、「桜田治部太輔貞国」が含まれている。
- ^ 紺戸淳「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」『中央史学』二、1979年。
- ^ 角田朋彦「偏諱の話」『段かづら』三・四合併号、再興中世前期勉強会、2004年、 21頁。
- ^ a b 峰岸 2005, p. 57.
- ^ 『太平記』巻第10 「新田義貞謀叛事付天狗催越後勢事」に「去程に桜田治部大輔貞国・加治・長崎等十二日の軍に打負て引退由鎌倉へ聞へければ、相模入道・舎弟の四郎左近大夫入道恵性を大将軍として、塩田陸奥入道・安保左衛門入道・城越後守・長崎駿河守時光・左藤左衛門入道・安東左衛門尉高貞・横溝五郎入道・南部孫二郎・新開左衛門入道・三浦若狭五郎氏明を差副て、重て十万余騎を被下、其勢十五日の夜半許に、分陪に着ければ、当陣の敗軍又力を得て勇進まんとす。」とある。
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