北条師頼とは? わかりやすく解説

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北条師頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/20 01:08 UTC 版)

 
北条師頼 / 桜田師頼
時代 鎌倉時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
別名 桜田七郎
官位 三河
幕府 鎌倉幕府鎮西1番引付頭人・大隅守護
氏族 北条氏(桜田流)
父母 父:桜田時厳、母:不詳
兄弟 頼覚、師頼、兼貞、貞国、篤貞、貞源、綱栄、定宗
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北条 師頼(ほうじょう もろより)は、鎌倉時代末期の北条氏の一族。北条時頼の孫。父は桜田時厳。母は不詳。桜田 師頼(さくらだ もろより)とも呼ばれる。通称は桜田 七郎(さくらだ しちろう)。

略歴

元亨3年(1323年)、大隅守護に任じられ、鎌倉幕府滅亡まで在職した。

正中2年(1325年)以降、鎮西引付衆1番頭人を務めた[1]

元弘元年(1331年)9月、元弘の乱において、北条高時が畿内に派遣した討手のなかに桜田三河守(師頼)の名がある[2]

脚注

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  1. ^ 北条氏研究会 編 『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社、2001年、354-355頁。 
  2. ^ 「笠置軍事付陶山小見山夜討事」『太平記』巻三

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