校名・校地の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 21:31 UTC 版)
「奈良市立鼓阪小学校」の記事における「校名・校地の由来」の解説
「鼓阪」は元々「鼓坂」と書く。もとの東大寺八幡宮、現在の手向山八幡神社では旧暦の9月3日に「転害会」と呼ばれる祭礼が転害門を御旅所として行われてきた。この転害会では転害門の東方、正倉院方面へ登る緩やかな坂道が楽人奏楽の場所として利用され、いつしか「鼓坂」と呼ばれるようになったとされる。鎌倉時代になると「鼓坂」は現在の鼓阪小学校の校地にあたる、東大寺尊勝院周辺の地名となった。 東大寺尊勝院は後に東大寺別当となる光智の手により華厳宗・真言宗を兼学する東大寺の子院として946年に建立された。村上天皇の御願寺となり、東南院、西室とともに東大寺の三大院家の一つとして学僧を輩出したが、1567年の東大寺大仏殿の戦いで聖語蔵を残して焼失した。焼失後、惣持院と名が改められ堂舎が建てられた。 1878年、北御門小学校(きたみかど―)が東大寺惣持院に移転する際、旧東大寺尊勝院の地名「鼓坂」と大坂が大阪へ改名した例に倣い、北御門小学校は「鼓阪小学校」と改名された。 東大寺尊勝院の建物として焼失を免れた聖語蔵は1894年に所蔵の経巻とともに宮内省に献納され、正倉院内に移転した。鼓阪小学校には2基の礎石のみが現存している。
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