柿うるる夜は夜もすがら水車
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評 言 |
昭和を代表する詩人のひとり三好達治の句集「柿の花」巻頭の句である。詩人は昭和39年に没したが、生前発表の「路上百句」に、没後発見の数十句を加えて、その十三回忌に石原八束によって編纂された句集が「柿の花」である。 掲句は大正15年、26歳の時に同人誌に発表された。当時、東京帝大の仏文科の学生であり、この句は助教授辰野隆によって激賞された。三高時代から西欧文学を渉猟し、わけてもボードレールやヴェルレーヌなどのフランス近代詩に深く傾倒していた詩人は、その象徴詩的表現の試みを、俳句の形で示そうとしたのではなかろうか。季語「柿う(熟)るる」の背景の情緒と、夜通し回り続ける水車の動きや音の様子とを取り合せ、「夜は夜もすがら」という流れるような措辞を以って結び合わせている。その輝かしい詩業の出発点を告げる記念碑的な作品であると云えよう。 詩人は、家庭の事情により中学の途中で陸軍幼年学校に転じ、その後士官学校に進むも、文学への熱冷めやらず三高・東大へと進んだ。丸山薫、小林秀雄、梶井基次郎などの文学仲間達との濃密な交友の中から、詩壇への鮮烈なデビューを飾る処女詩集「測量船」(昭和5年刊)は生み出された。しかし、その家庭生活は必ずしも順風では無く、様々の人生遍歴により、弟子格の石原八束からは「風狂詩人」とも呼ばれた。十代半ばから熱心に作句を続け、後に、結社「雲母」とも深い交わりを持った。わが国の伝統詩歌の余情を現代詩というジャンルの中で新たに創造した詩人の基底には、俳句で培われた叙法や自然観照の力が多いに与っているのである。 書肆田髙 |
評 者 |
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備 考 |
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