柳隠とは? わかりやすく解説

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柳隠Liu Yin

リュウイン
リウイン

188?~267?)
騎都尉黄金囲督
西河太守

字は休然。蜀郡成都の人《華陽国志》。

若いころから同郡の禎・とともに名を知られていた。柳隠は誠実正直で、交友するときは手厚さ心がけ正しい道に従うさまは極み達していた。たびたび大将軍姜維征伐従軍し戦陣臨んだときは計略立て敵軍ぶつかったときは陣営陥落させ、武勇計略は軍の筆頭であった牙門将、巴郡太守騎都尉経て漢中黄金囲の督に昇進した華陽国志》。

黄金囲はのちに黄金となっている。よって柳隠は漢城沔陽)の蔣斌楽城成固)の王含準ずる地位であった考えられる

景耀六年(二六三)、魏の鎮西将軍鍾会が蜀を征討しようと漢川侵入してきた。多く要害陥落してしまったが、ただ柳隠の守る黄金囲だけは鉄壁不動で、鍾会の別将が攻撃かけても打ち勝つことができなかった。後主劉禅降服して直筆命令書を柳隠に与えたのち、ようやく鍾会元に出頭した司馬昭はそれを聞いて義士だと思った華陽国志》。

咸煕元年(二六四)、河東郡移住して議郎に任命された。泰始二年(二六五)春、武帝司馬炎より西河太守任じられる在職すること三年高齢理由官職去り隠居告げて蜀に帰った。家で八十歳卒去した《華陽国志》。

参照姜維 / 司馬炎 / 司馬昭 / 鍾会 / 禎 / 伸 / 劉禅 / 河東郡 / 漢川 / 漢中郡 / 魏 / 黄金県(黄金囲) / 蜀 / 蜀郡 / 西河郡 / 成都県 / 巴郡 / 牙門将軍 / 騎都尉 / 議郎 / 太守 / 大将軍 / 鎮西将軍 / 督


柳隠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 02:17 UTC 版)

柳 隠(りゅう いん、生没年不詳)は、中国三国時代蜀漢武将は休然。蜀郡成都の人。『華陽国志』に事績が記載されている。

経歴

若いころから同郡出身の杜禎・柳伸とともに名を知られた。誠実正直な性格であり、正道に従うことを信条とし、友人との交際には常に手厚さを心がけていた。

姜維北伐に従軍し、たびたび功績を立て、その武勇と計略は三軍の筆頭であるとされた。牙門将、巴郡太守、騎都尉を歴任した後、漢中黄金囲の督に昇進した。

炎興元年(263年)、鍾会鄧艾が大軍を率いて蜀に侵攻した。陽安関の守将蔣舒が城を開いて降伏するなど戦況が悪化する中、別働隊の劉欽が黄金囲を攻撃した。柳隠は城を堅守し、劉欽はこれを落とすことができなかった。やがて魏軍は別の道から成都を攻撃し、蜀帝劉禅が降伏したため、ついに蜀漢は滅亡した。それでも柳隠は抵抗を続け、劉禅の書簡を受け取るまで城を守り抜いた。司馬昭はそれを聞き、彼が義士であると讃えたという。

咸熙元年(264年)、河東郡に移住し議郎に就き、翌年西河太守となったが、泰始4年(268年)に老齢を理由に辞職して故郷へ帰り、その後は出仕せずに家で死去した。享年は80歳であった。

長子の柳充は連道令となり、次子の柳初は秀才に挙げられた。



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