林業と製紙業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:58 UTC 版)
1905年(明治38年)の祖国復帰後、明治政府は蝦夷松・椴松がパルプの原料となることを調査・研究によって突き止め、1914年(大正3年)、第一次世界大戦の特需景気の恩恵を受け急成長を遂げる。王子製紙、富士製紙、樺太工業による三社寡占状態であったが、1933年(昭和8年)に王子製紙が競合二社を吸収合併、王子製品は本州へも移出された。また同時期には木材業者の合併も行われ、樺太木材統制組合が設立された。 森林伐採は、開発と不可分で進行するが島内ですべてを消費できることもなく、木材の島外への移出は活発となった。移出量は、1929年(昭和4年)にピークを迎え約1,300万石を記録。しかしその後は漸減し、第二次世界大戦直前の1941年(昭和16年)には約10万石に落ち込んだ。戦争中は、木材を運搬する船舶が不足し、積み出しが不能になったまま終戦を迎えた。
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