林業と川狩り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 04:32 UTC 版)
支流の寸又川流域の森林は、江戸時代、駿府城、浅間神社、江戸城本丸、寛永寺などの用材とするため大規模に切り出され、大井川を通じて材木の輸送が行われた。大井川は川幅が狭く筏が組めなかったためバラの木材を十数人一組の人足が巧みに輸送していた(川狩りという)。特に堰(鉄砲堰)で川の水をせき止めておき溜めた水と木材を一気に下流に流す方法を鉄砲出しという。 1958年(昭和33年)に井川林道が開通すると大規模な川狩りは行われなくなった。鉄砲出しは1967年(昭和42年)を最後に行われなくなった。
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