東洋紡績塩浜工場社宅跡地の宝町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 19:05 UTC 版)
「塩浜地区」の記事における「東洋紡績塩浜工場社宅跡地の宝町」の解説
昭和7年に東洋毛糸紡績四日市工場が誘致された。馳池西部進出時に工場社宅として造成された地域が東洋毛糸紡績四日市工場の付近の宝町。東紡社宅と呼ばれていた地域。昭和27年の臨海土地区画整備事業による町名新設で馳池大字宝島から宝町に改名された。。東洋紡社員の住所地域の社宅造成工事で大字宝島が四日市市塩浜地区の宝町になる。東洋紡績塩浜工場は周囲東西300m南北500mの広大な敷地に立地するコンクリート塀15000㎡の壁に囲まれた毛糸製造部の専門工場。四日市コンビナートと四日市港と塩浜貨物駅を利用した都市部に立地する毛糸専門工場であった。南半分は工場で北半分は工場社宅寄宿舎と稲荷神社公園の運動場と診療所・浴場・売店・理髪店・会社更生施設の東洋紡住民の都市街であった。昭和56年の東洋紡の企業整備事業で塩浜工場の南部をコスモ電子(東洋紡の関連会社に土地売却)工場用地に変更。塩浜工場社宅跡地の宝町の残り北半分(東洋紡住民の都市街)の土地を太陽化学・クノール食品の工場に用地変更。
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