東京大空襲およびその後
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1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲(下町空襲)の際には、浅草方面の人が「川の向こうに行けば助かる」と思い言問橋を渡ろうとした。しかし対岸の向島・本所地区もすでに火の海であり、住民らは同様に対岸への避難を試みたため、両者が橋の上でぶつかり合い進退窮まる状態となった。そこへ焼夷弾が落ち、多数の死傷者を出した。 戦後は蟻の街と呼ばれた廃品回収業者の共同体が形成された。この共同体は1958年に8号埋立地(江東区潮見)へ移転が決定し、1960年頃に移転が完了した。 橋西詰の隅田公園内には、空襲での犠牲者を追悼する慰霊碑が設けられており、その横には1992年(平成4年)からの改修工事で切り出された欄干の基部の縁石(色が黒ずんで変色している)が展示されている。また、江戸東京博物館の屋外通路(横網町公園側)にも取り外された欄干と縁石の一部が保存展示されている。 2008年(平成20年)3月17日と18日の2日間に渡って日本テレビ系列で放送された、日本テレビ開局55周年記念番組のテレビドラマ『東京大空襲』では、言問橋がストーリーに密接に関わっている。 2008年(平成20年)3月28日、両国橋と共に東京都の東京都選定歴史的建造物に選定された。また、西詰(浅草方)は東京スカイツリーの撮影スポットでもある。
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