東京オリンピックからメキシコシティーオリンピック、アシックスの設立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 06:27 UTC 版)
「オニツカタイガー」の記事における「東京オリンピックからメキシコシティーオリンピック、アシックスの設立まで」の解説
1964年、オニツカは神戸証券取引所に上場し、その後大阪、東京の取引所にも上場した。1964年は東京オリンピックが開催された年でもある。東京大会ではブランドを代表するモデル「RUNSPARK」がデビューした。RUNSPARKはオニツカで初めて固定式スパイクを採用したシューズで、このシリーズではさまざまな靴の構造が試された。 現在もオニツカタイガーとアシックスのシューズにあしらわれている「オニツカタイガーストライプ」のデザインが初めて登場したのは1966年の「LIMBER UP 革 BK」である。同年はメキシコシティでオリンピックのプレオリンピックが開催されていた。 1975年、バスケットボールの攻撃戦略、ファーストブレーク(Fast break、速攻)からネーミングした商品 「FABRE BL-S」を発表した。1972年のミュンヘンオリンピックでは日本代表がFABREを着用し、14位入賞を果たした。 フィンランド人ランナー、ラッセ・ビレンは1972年ミュンヘンオリンピックでアディダスを着用して優勝した後、1976年モントリオールオリンピックでオニツカタイガーを着用し、5000mと10000mで優勝した。1977年には、すべてのスポーツブランドを「アシックス」ブランドに統合。その後は「アシックス」として、世界中の小売店にシューズを提供した。
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