東ローマ帝国とバルカン半島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/10 08:24 UTC 版)
「中世後期」の記事における「東ローマ帝国とバルカン半島」の解説
東ローマ帝国は長い間東地中海を政治と文化で支配した。しかし14世紀までにほぼ完全にコンスタンティノープルとギリシャの飛び地数か所を中心としてオスマン帝国の属国と化した。1453年のコンスタンティノープルの陥落とともに東ローマ帝国は永久に消滅した。 ブルガリア帝国は14世紀までに衰退し、セルビアの優勢は、1330年のヴェルバジドの戦いでブルガリアにセルビアが勝利したことで決定づけられた。1346年までにセルビアの王ステファン・ウロシュ4世ドゥシャンは皇帝を名乗った。セルビアの優勢は、長くは続かず、セルビアに率いられたバルカン半島の連合軍は、以前のブルガリアのようにほとんどのセルビア貴族が殺され国土の南がオスマン帝国に占領された1389年のコソボの戦いでオスマン帝国に敗れた。セルビアは1459年に陥落し、ボスニアは1463年に陥落し、アルバニアは遂にスカンデルベグが死んだ数年後の1479年に占領された。中世の終わりまでにバルカン半島全域がオスマン帝国に併合されたり朝貢国となった。
※この「東ローマ帝国とバルカン半島」の解説は、「中世後期」の解説の一部です。
「東ローマ帝国とバルカン半島」を含む「中世後期」の記事については、「中世後期」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から東ローマ帝国とバルカン半島を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 東ローマ帝国とバルカン半島のページへのリンク