来館者増加と宣伝の大成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:54 UTC 版)
「退廃芸術」の記事における「来館者増加と宣伝の大成功」の解説
宣伝省はこの展覧会をぜひ見るよう各新聞を通して大々的に盛り上げた。その結果詰め掛けたミュンヘンや各地の市民の数は膨大になった。狭い会場には1日で2万から3万人、多い日で4万人を超え、イギリスなど海外からも多くの観客を集め、建物を取り囲む入場待ちの長蛇の列ができ、2階に上がる狭い階段を埋めた。11月30日までの4ヶ月で展覧会場に押し寄せた観客数は200万人超という驚くべき数字になった。 これは隣で開かれた公認芸術展・大ドイツ芸術展の3ヶ月70万人を大幅に上回る。かといってゲッベルスも宣伝省もこれに腹を立てるどころか、むしろ近代美術を公開処刑するという宣伝が思った以上に成功したことに満足した。会場には、普段美術館を訪れたことのない市民も怖い物見たさや好奇心、動員で訪れた。観客の中には、芸術の処刑に際して、作品を眼に焼き付けて別れを告げに来た画学生や愛好者もある程度いたほか、ハノーファーのシュプレンゲル夫妻のようにここでノルデの作品に触れ逆に感動し、以後彼の作品のコレクターになり戦時中も生活を支え続けた人物も現れた。しかし、大部分の観客は党によって地に引きずり下ろされた芸術家たちのざまを見るために来場しており、作品の余りの過激さと購入金額の高さに怒り心頭に発しており、ため息や怒りの声が上がるなど集団心理に支配された状態で、宣伝省の意図通りの結果となった。ドイツの各紙もこの展覧会を取り上げ、退廃芸術のあまりの「質の低さ」への怒りと、これがナチスによって一掃されたことを賛美する記事があふれた。
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