村山実・掛布雅之
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 18:32 UTC 版)
「ミスタータイガース」の記事における「村山実・掛布雅之」の解説
藤村のみをミスタータイガースと呼ぶ立場を除けば、ほぼすべてのファンから藤村と並んでミスタータイガースと認められているのが村山実と掛布雅之である。 1959年3月2日、藤村の引退試合でプロ初登板を飾った村山は、その後瞬く間にエースの座へと上り詰め1962年・1964年のリーグ優勝に貢献、1962年にはMVPを獲得するなど活躍した。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄との対決に魂を燃やす姿や「ザトペック投法」と呼ばれる闘志溢れる投球フォームで人気を博し、やがて藤村の後継者として「二代目ミスタータイガース」と呼ばれるようになった。 また、村山引退の1年後にタイガースに入団した掛布は、1979年にかつての藤村と同じ「4番・三塁手」に定着。同年に本塁打王に輝く活躍を見せてチームの中心選手として認知されるようになり、以降も不動の4番打者として活躍、1985年には球団史上初の日本シリーズ優勝にも貢献した。このことから「三代目ミスタータイガース」または「四代目ミスタータイガース」と呼ばれるに至っている。なお、掛布については引退後に長くタイガースのコーチや監督に就任せず、ライバルの読売ジャイアンツの系列局である日本テレビ・読売テレビで解説の仕事をしていたことから、「もはやミスタータイガースではない」と除外する声も一部にあったが、2014年からスタッフとしてタイガースに復帰し、2016年・2017年には二軍監督も務めたことで、このような見解はほぼ見られなくなっている。
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