村山実とのライバル関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:57 UTC 版)
1959年6月25日(木曜日)の天覧試合でサヨナラ本塁打を放った長嶋であるが、このときのサヨナラ本塁打を打たれたのが当時阪神の大卒新人であり、後に2代目ミスタータイガースと呼ばれることになる村山実であった。この天覧試合以降ふたりのライバル関係が始まったとされ、たびたびテレビなどのマスメディアでは「昭和の名勝負」などといわれることがある。 1966年6月8日、村山はあと4つと迫った通算1500奪三振に際し、「1500奪三振は長嶋さんから獲る」と宣言。一方、長嶋は試合前に「バントしてでも三振はしない」と報道陣に語った。村山は5回までに3つの三振を獲り、6回表に長嶋との対戦となった。長嶋は2ストライク1ボールのカウントから4球目のフォークボールを空振り、三振。2球目と4球目に計2回スイングしたが、どちらもフルスイングで、三振を喫した4球目のスイングではヘルメットが脱げた。長嶋は試合後、「あれは打てなくても仕方ない」と語り、予告を達成したライバルへ敬意を示した。村山はその後の1969年8月1日、通算2000奪三振も長嶋から奪っている。 2人は現役時代は口も利かなかったが、引退後には意気投合し、お互いに「チョーさん」「ムラさん」と呼び合う仲になった。村山の死後、長嶋は「彼(村山)は一球たりともアンフェアな球(ビーンボール)を投げなかった」と述懐している。
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