本庶佑との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:23 UTC 版)
修士課程、博士課程と近藤は本庶佑の研究室で過ごしており、「自分は一流であるから一流の研究ができる」はずということを当たり前に感じる場だったという。また、スイス留学中に本庶から「戻ってきて免疫の研究をやってほしい」と声を掛けられ、帰国している。京都大学の講師だった時には、自宅でチューリング・パターンを実証するためにタテジマキンチャクダイの飼育と観察をしていたこと、およびその成果を日本分子生物学会でポスター発表することを近藤は本庶に黙っていた。ポスター発表が発覚して本庶の部屋に呼び出された際に近藤は「趣味」と言い訳したが、とても怖かったと述懐している。 後年「免疫をやると言うから呼び寄せたのにもかかわらず、魚なんぞにうつつを抜かし……」と事あるごとに言われながらも、タテジマキンチャクダイが表紙を飾ったネイチャーは医化学教室に長年飾られ、2002年に本庶が企画を務めたワークショップでは近藤も招待講演に呼ばれている。近藤が日本分子生物学会年会で大物研究者の顔写真に落書きをする企画をした際には、最初に本庶に許可を取りに行って快諾されており、そのおかげもあってほかの研究者への依頼もスムーズに進んだという。
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