本当に「掲示」されたのか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:19 UTC 版)
「95か条の論題」の記事における「本当に「掲示」されたのか?」の解説
数百年にわたる無数の研究にも関わらず、1517年10月31日にルターが本当にこのような文書を掲示したのか、その事実性には論争があって解決していない。日付が違うという説もあれば、ルター自身が自分で門に打ち付けたのか、人にやらせたのかという議論もある。 同時代の史料で、この出来事を伝える唯一の情報源は、ルターの同僚だったフィリップ・メランヒトン(1497-1560)によるものである。ルターが1546年2月に死去してから3か月後に刊行されたルターの著作集第2巻(1546年)の序文の中で、メランヒトンは、ルターが門扉に95か条の論題を掲示したと述べている。しかし他の証拠はない。 ルターが1517年10月31日に張り出したとされる文書が印刷されたものであったと伝えられているが、実際にそうであったのか、手書きのものだったのかもわかっていない。一般に当時の大学の掲示板に貼りだされる文書は、手書き、印刷どちらの可能性もある。いずれにせよその原本も、印刷前の版も現存しない。現存するのは、マインツ大司教アルブレヒトを経由してローマ教皇レオ10世に送られたものだけである。ただしその中身は、1517年末にライプツィヒで印刷されたコピーと同じである。 実際に門に貼りだしたかどうかや正確な日付はわからないが、いずれにせよこの時期にルターがこの文書を公表したことは確からしい。
※この「本当に「掲示」されたのか?」の解説は、「95か条の論題」の解説の一部です。
「本当に「掲示」されたのか?」を含む「95か条の論題」の記事については、「95か条の論題」の概要を参照ください。
- 本当に「掲示」されたのか?のページへのリンク