本当にあった「走れメロス」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 14:36 UTC 版)
「亘理伊達家」の記事における「本当にあった「走れメロス」」の解説
1868年の戊辰戦争の際、旧幕府側の仙台藩に新政府軍の軍勢が迫る中、藩主一門の亘理伊達家当主は現在の山元町の農家の若者であった長左エ門と彦左エ門の2人を和平の使者に任命。現在の福島県境に陣を構える新政府軍へ向かわせた。しかし、新政府軍は2人を怪しみ、彦左エ門を人質に取った。新政府軍は長左エ門に「亘理伊達家の重臣を連れて来るよう」命じ、期限までに戻らなければ彦左エ門を斬首すると告げた。長左エ門は「必ず戻ってくるからな。俺を信じてくれ」と、駆け出した。 その頃、藩内では抗戦派と新政府軍に従う恭順派が激しく対立。答えが出ないまま期限は過ぎてしまう。彦左エ門は処刑場に引き出されるが、嘆願の結果、3日の猶予が与えられた。藩の意見は恭順に傾き、長左エ門は重臣らとともに再び新政府軍の陣を訪れた。彦左エ門は解放され、休戦交渉が始まった。 それから152年後の2020年、山元町教育委員会は「人を信じ合う気持ちを学び取ってほしい」と、郷土を戦火から守った2人の若者の友情についての話を副読本に収録した。
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