本尊の造立とは? わかりやすく解説

本尊の造立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 11:29 UTC 版)

飛鳥寺」の記事における「本尊の造立」の解説

書紀によれば推古天皇13年605年)、天皇皇太子聖徳太子)、大臣馬子)、諸王諸臣に詔して、あかがね)と繡(ぬいもの)の「丈六仏像各一躯」の造立誓願し鞍作鳥(止利)を造仏工とした。そして、これを聞いた高麗国大興王から黄金三百両が貢上されたという。『書紀によればと繡の「丈六仏像」は翌推古天皇14年606年完成丈六銅像元興寺金堂安置しようとしたところ、像高金堂の戸よりも高くて入らないので、戸を壊そう相談していたところ、鞍作鳥工夫によって、戸を壊さず安置することができたという挿話記述されている。一方、『元興寺縁起』に引く「丈六光銘」(「一丈六尺仏像光背銘」の意)には乙丑年(推古天皇13年605年)にと繡の釈迦像と挟侍を「敬造」したとあり、造像開始の年は一致しているが、挟侍脇侍)の存在明記していること、大興王からの黄金三百二十両であることなど、細部には相違がある。「丈六光銘」によれば戊辰年(608年)に隋の使者裴世清らが来日して黄金奉り、「明年」の己巳年(609年)に仏像造り終えたという。つまり、『書紀』と「丈六光銘」とでは、造の本尊飛鳥大仏)の完成年次について3年の差がある。福山敏男は、仏像完成年裴世清らの来日の「明年」であるところ、『書紀』の編者発願の「明年」と誤認したため、このような違い生じたものと考証した。当時技術水準で、丈六仏が1年足らず完成するとは考えにくい点などから、福山の言うように、本尊飛鳥大仏)の完成609年とするのが通説となっている。

※この「本尊の造立」の解説は、「飛鳥寺」の解説の一部です。
「本尊の造立」を含む「飛鳥寺」の記事については、「飛鳥寺」の概要を参照ください。

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