本土の海上封鎖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 13:25 UTC 版)
詳細は「飢餓作戦」、「バーニー作戦」、および「日号作戦」を参照 アメリカ軍が潜水艦、硫黄島や沖縄からの陸上航空機、機動部隊搭載機などにより、日本本土周辺の通商破壊を行った。特に3月末から飢餓作戦の名のもとに行われた機雷敷設が、港湾を次々と使用不能に陥れた。潜水艦は、バーニー作戦を皮切りとして最後の聖域だった日本海にまで侵入し、残り少なくなった日本商船を沈めた。水上艦艇でさえも相模灘のような近海まで出没し、1945年7月22-23日の海戦などが発生している。 日本軍は日号作戦を発動して、日本海経由での食糧輸送を継続しようとしたが、次第に困難となった。南方からの米輸入、満州からの雑穀や岩塩の移入、北海道からのジャガイモの輸送などができなくなったこと、燃料欠乏と漁船すら攻撃されることから漁業も難しくなったことなどで、都市部を中心に日本国民の食糧事情は悪化した。食糧配給量の切り下げが相次いだ。
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