朝鮮半島核危機との関連
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/06 15:23 UTC 版)
「オレンジルート」の記事における「朝鮮半島核危機との関連」の解説
1994年は、オレンジルート上での米軍機の訓練が特に激しく、結果として死者を伴う墜落事故が発生するに至った。当時は、朝鮮人民軍が前年の1993年に弾道ミサイル「ノドン」の発射実験に成功。翌年にはNPT(核拡散防止条約)からの脱退と核兵器開発を宣言し、韓国を威嚇。韓国側からの抗議に対しては、主体思想を振りかざして戦争を仄めかす瀬戸際外交でこれに応じ「朝鮮半島核危機」が起きていた。事故はこのことと無関係ではない(後述)。 朝鮮半島核危機当時のアメリカ合衆国を担っていたクリントン政権では、北朝鮮が実際に核兵器を保有した場合は、重要施設への空爆によって強引にでも北朝鮮に核兵器を放棄させ、朝鮮半島を非核化するという平和執行(予防攻撃/preventive attack)の選択肢を検討した。米軍機は、オレンジルート上で平和執行訓練をしていた。結局、朝鮮半島核危機は、クリントン大統領が特使として派遣したジミー・カーター元大統領と金日成主席との和平交渉の末、北朝鮮が日米韓3か国から莫大な無償援助を受ける見返りとして、金日成自身がNPTの遵守と核兵器開発計画の放棄を約束したことから、実際に戦火を交えることなく収束した。だが、和平の約束は、その後に北朝鮮が引き起こした1998年のテポドン発射実験、2001年の九州南西海域工作船事件(不審船事件)、2002年に発覚した北朝鮮による日本人拉致問題、繰り返される北朝鮮によるミサイル発射実験や核実験によって事実上白紙化した。このことに関連して、米軍機は近年オレンジルートでの訓練の回数を増やすようになった。
※この「朝鮮半島核危機との関連」の解説は、「オレンジルート」の解説の一部です。
「朝鮮半島核危機との関連」を含む「オレンジルート」の記事については、「オレンジルート」の概要を参照ください。
- 朝鮮半島核危機との関連のページへのリンク