朝鮮半島への調査行
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1934年、飯盛研究室員の吉村恂、畑晋 (はたすすむ)、父・飯盛里安とともに希元素鉱物資源調査のため日本統治下の朝鮮に渡った。南部は全羅北道の金提、全州および慶尚北道の慶州まで、北西は平安北道の富寧まで約1か月かけて全行程約4700kmを調査した。その結果各地に散在する砂金採集地にある副産物の重砂中に希元素鉱物が存在し、資源として利用できることが分かった。 1937年秋、飯盛研究室員の谷川浩、同研究室嘱託・長島乙吉とともに朝鮮の咸鏡南道永興郡仁興面を訪れ、砂金残砂から黒モナズ石を採取した。黒色のモナズ石はそれまで知られていなかった。 1938年5月、長島乙吉とともに朝鮮の忠清北道丹陽郡丹陽面九尾理および全羅北道茂朱郡赤裳面斜山里を訪れ、それぞれの場所からコルンブ石を採取した。 同年秋、再び長島乙吉とともに忠清南道洪城郡を訪れ、砂金残砂から3種のニオブタンタル鉱物を採取した。分析の結果、それらはタンタルユークセン石、イットロタンタル石、フェルグソン石であることが判った。前二者は日本およびその統治地域で初産であった。
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