朝鮮・満州の旅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 21:57 UTC 版)
4月27日から、中田は朝鮮満州地方へ旅行に行き、川端京五郎が同行した。5月8日水原の公会堂で説教した。ここは、乗松雅休がいたところであった。京城に行き、12日公会堂で説教した。森五郎の婦人の実家である本町警察署長の小松家で止宿した。 13日朝安東へ行き、神社参拝を拒否した女学生の停学問題のために論じた。15日奉天に行き、17日撫順に行き、19日は遼陽に行き、20日は大連に行った。満州で牧場を経営していた勝俣の家に泊まった。南満州鉄道の大倉理事を訪問して女学生停学問題について話し合った。 5月19日、新宿の柏木にあった聖書学院で2回目の昭和初期のホーリネス・リバイバルが起こる。大連にいた中田は連絡を受けて、5月25日に東京に戻った。 詳細は「ホーリネス・リバイバル」を参照 中田が帰国したら、30日から6月7日まで、東京市内外の教会でリバイバル祈祷会が持たれた。6月8日ペンテコステ大会が聖書学院で開かれて、英国、米国、ロシア、南洋、ブラジル、台湾、朝鮮、高砂族、アイヌの修養生が証した。中田は説教をしたが、聖霊のリバイバルは悪魔のリバイバルであることも危惧して、雑誌に一文を載せて警告した。
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